命と身体
生死、無常、苦難、身体の状態、俗世の体験を考える。
命と無常
短章 2 件 02生死観
短章 4 件 03苦難と忍耐
短章 4 件 04暮らしの体験
短章 9 件 05悔いと別れ
短章 1 件 06身体と生活のリズム
短章 1 件短章 21 件
命と無常この小テーマを開く →
《無常を前に、計画に柔軟さを残す》 暮らしが変わると知ったうえで、今と計画にどう向き合うべきか?
無常は今を大切にすることを教え、計画に柔軟さを残すことも教えてくれる。
《命の意味は行動に表れる》 今していること、今影響を与えている人に、命の意味はどう表れるか?
命の意味は、今していることと、今影響を与えている人を通じて表れる。
生死観この小テーマを開く →
《命の本質》 死を思うとき、それでも真剣に向き合う価値のあることは何か?
死によっても変わらないことが、命の本質だ
《生と死》 命の終わりを直視すると、恐怖、金、責任への見方はどう変わるか?
生死から自分を解き放とう。――死さえ恐れなければ、何を怖がるのか?
もうすぐ死ぬというとき、金が何の役に立つ?
もうすぐ死ぬというとき、どれほどの悔いがある?
生死から解放されれば、恐怖からも自然に解放される。
生死から解放されれば、金銭からも自然に解放される。
生死から解放されれば、責任も自然に担う。
俗世を超えた者は地に足をつけ、地に足をつけた者は不生不滅となり、天地の力を借りる。
《終点を直視して、今日を明確に段取りを組む》 人生の終点を思うとき、今日のどんな予定を考え直す価値があるか?
終点を直視してこそ、今日をより明確に段取りを組める。
《大切にし、責任を持ち、悔いを減らす》 生死への思考を、今日の大切にする心と責任へどう変えるか?
生死への思考を、大切にすること、責任を持つこと、悔いを減らすことへ変える。
苦難と忍耐この小テーマを開く →
《苦難と受容》 苦難に向き合うとき、出来事そのものと、それを受け入れない自分はそれぞれどれほどの重みを持つか?
苦難は主観的なものだ。いわゆる苦難とは、主観的に受け入れていないだけのことだ
《成長には挑戦が必要だが、苦難を作る必要はない》 苦難と成長の関係をどう捉えるか?
波乱を経ると、以前理解できなかったことがわかる。そこから、ずっと順調なら成熟の機会を欠くのではと心配しやすい。考える価値はあるが、すぐに「苦労させなければ」と結論してはいけない。
成長には実際の挑戦が多い。一つのことを全体として担い、対立を扱い、限られた資源で選び、自分の誤りに責任を持つことは、力と判断の境界を見せる。これら自体に難しさがあり、余計な傷を作る必要はない。
人を助けるときも、試す価値のある代償と、早く避けるべき危険を分けたい。試行錯誤の余地を与えながら身体と必要な安全を守ることは矛盾しない。結果を担うのに寄り添っても、すべての苦痛を教育と褒める必要はない。
波乱は成長の材料になり、順調さもより高い要求の起点になれる。本当に気にすべきは、経験後に判断と責任の力が増したかであり、どれほど苦しんだかではない。
《困難もまた反応である》 圧力以外に、困難は準備のどんな不足を教えているか?
困難は圧力であるとともに、準備の程度を確かめるフィードバックでもある。
《最悪に備え、小さく始める》 最悪に備えた後、今どんな小さな一歩を進められるか?
まず最悪に備え、それからできることを小さな段階に分けて終える。
暮らしの体験この小テーマを開く →
《俗世》 俗世を経験し理解した後、自分の命をどう使いたいか?
俗世に入る
自分の生き方を見つけ
俗世で体験し感じ取る
俗世を悟る
俗世は生活そのもの
経験の中で悟る
懸命に体験してこそ俗世を見抜ける
俗世を出る
離れるのでも
逃げるのでもなく
俗世のために涙を流さず
よくても悪くても、すべての存在を味わう
俗世を使う
人生は芝居のようで、生き方が人生を定める
人生は碁のようで、視野と器が人生を描く
人生は茶のようで、感じ取ることで人生を味わう
命は偶然
死は必然
命という偶然の精彩で、必然の色をもっと鮮やかにしよう
《疲れ》 私を疲れさせるのは目の前の苦労か、それとも心が行き先を知らないことか?
最大の疲労は肉体の苦労ではなく、心の苦しみだ!
最大の苦しみは「心の疲れ」、一文字で「迷い」だ!どこへ行けばよいかわからない。
迷わなければ、億万の借金があっても楽しくいられる。
迷いに入れば、億万を稼いでも苦しい。
迷いとは「究極に達していない」こと。俗世の姿に入り、楽しくなく、穏やかでなく、清らかでない人生を送ることだ。
究極を理解して生き、「終点」を知れば、魂を失うことはなく、力がたちまち現れる!
《経験すること》 すべては経験することしかできないと知って、目の前、過去、未来にどう向き合うか?
人生に現れるすべてのものは
所有することはできず
経験することしかできない
私たちは一人ひとり
時間の旅人にすぎない
いつの日か
私たちはすべてと永遠に別れる
目の前のものを、大切にしよう
過去には、落ち着いて向き合おう
来るべきものは、喜んで受け入れよう
《俗世》 俗世を見抜くには、生活を離れるべきか、もっと深く体験すべきか?
多くの大師が、俗世を見破るとは世俗を離れ、清らかで自由になることだと、いかめしく言う。私には皆、修行が並の人に見える。俗世とは何か。どう見破るのか。俗世とは生活だ。
見破るとは、暮らしで懸命に体験すること。生活とは何か?
1、自分の心(愛憎、情、恨み、気性、名利)
2、衆生の人間的欲求(達成感、神聖さの感覚、幸福感)。大いなる修行者は慈悲の心と衆生への思いを修め、ひたすら自分と人を救い導く!
《好奇心は判断に扉を残す》 見聞が増えた後も、世界への好奇心をどう保つか?
経験が増えると、結論を急ぎやすい。ある業界、暮らし、人々を、似たものを見たから先もわかると思う。経験は時間を節約するが、新しいものを見る機会を減らすこともある。
私が経験と体験を重んじる大きな理由は、世界への好奇心を保つことだ。好奇心は具体的でよい。以前わからなかったことを一度見に行き、不慣れな役割に立ってみて、異なる見解がどんな状況で育ったかをまず尋ねる。
もちろんすべての体験には費用がある。時間と身体には限りがあり、責任もある。残したいのは理解しようとする姿勢であり、参加するか、どこまで参加するかはなお判断する。好奇心と節度は共存できる。
結論しか残らなければ、経験が多くても昔の自分を証明し続けるだけかもしれない。判断に扉を残せば、新しい経験が入る機会も、古い経験が正される機会も生まれる。
《経験はどう収穫になるか》 苦労を経験すれば、必ず成長するのか?
私はよく、経験と体験自体に価値があると言う。収入が少なくても、出会った人、扱った物事、自分への理解は、後の基礎になりうる。しかし「すべて収穫だ」の一言ですべての損失を片づけてはいけない。
苦労したということは、苦労が起きたことしか示さない。残る価値は、何を経験したかを知っているかにかかる。どの判断を誤り、どの力が足りず、どの条件が見えておらず、次にどう変えるか。この段階がなければ、同じ消耗を何度も繰り返しかねない。
だから振り返りには二冊の帳簿を残す。一冊は学んだこと、もう一冊は払ったものを記す。学びは大切だが、過大な投入、不合理な待遇、身体の損傷にも真剣に向き合う必要がある。成長で現実の条件の判断を置き換えてはいけない。
経験が収穫になるのは、次の選択に影響し始めるときだ。よりよく判断し、自分を守り、仕事をよくできるようになって初めて、過去の費用を後で使える力に変える機会が生まれる。
《体験の目的を果たしたら、止まってよい》 試みが元の目的を果たした後、まだ続けるべきか?
始める前に何を得たいかを明らかにするほうが、始めてから結果を比較し続けるより重要なことが多い。長期経営のため、学びのため、一度自分で体験するためと目的は異なる。目的が違えば、過程を評価する尺度も違うべきだ。
元の目的がある役割の難しさを知ることなら、実際に参加し、圧力を感じ、過程の細部を見ることで、すでに果たせたかもしれない。後から必ずよい業績を求めるのは、参加していなかった競争を体験に付け足すことかもしれない。
目的は変えてよいが、再判断が必要だ。続ける価値があるか、投入がどれほど増え、本当に担いたいか。すでに時間を使ったというだけで、残りの時間まで追い込んではいけない。
元の目的に届いたら、止まり、得た理解を整理してよい。体験には始まりも終わりもある。収穫を持って自分の方向へ戻ることも、完全なやり遂げ方の一つだ。
《暮らしの中で道理を実感に変える》 道理を理解した後、何を経験すれば自分の実感になるか?
暮らしに入り、観察し、経験し、振り返ることで、抽象的な道理を実感に変えられる。
《風雨の中でも方向を守る》 暮らしに風雨があるとき、どう自分の方向を守り続けるか?
よい暮らしとは風雨がないことではなく、その中でも方向を保てることだ。
悔いと別れこの小テーマを開く →
《悔いがあっても、今日をよく生きる》 取り戻せない後悔を、どう心に収めるべきか?
当時真剣に向き合っても、望む結果に至らないことがある。大切な人にもう近づけなくなってから、心の中の重さをよりはっきり知ることもある。人生の悔いには、本当に埋め合わせられないものがある。
受け入れるには、つらさの居場所を残す必要がある。穏やかに対処しながら心に悲しみがあってもよく、すべきことを続けても、その経験が重要でなくなったとは限らない。すぐ割り切るよう自分に求めれば、本当の感情の置き場がなくなるだけだ。
選び直せる部分は今日から変えられる。気遣いを早く表し、大事な言葉を先延ばしにせず、機会があるうちに真剣に関わる。不可逆な部分は記憶とし、仮定を繰り返して現実にやり直しを求めない。
悔いは、時間と関係に限りがあると教える。その気づきを日常へ戻し、まだそばにいる人を大切にし、間に合うことを終える。喪失は消せないが、今日はまだ大切にできる。
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《すでにある幸福を先に見る》 目標が未達のとき、すでにある幸福をなぜ見落としやすいのか?
浮き沈みを経た後、私は生きていて体が健康なら、それだけで大切にする価値があると率直に感じた。ほかに得るものは、その土台に加わるものだ。追求に忙しいと、この順序は逆になりやすい。
目標が未達で、収入に不満があり、物事が成就していないと、不足ばかりが見える。一方、休めること、動けること、話せる人がいること、暮らしを組み直せることなど、すでにあるものは徐々に当然とされる。
それらが見えると具体的な選択が変わる。不調なら休み、翌日の大事なことのため早く寝て、一度に全力を使い切らない。遠い目標は追う価値があるが、それを担う自分も世話が必要だ。
今を大切にするのに、すべて順調になるまで待たなくてよい。すでにある幸福を認めてから、さらにほしいものを目指せば、心の尺度はより完全になる。暮らしに欠けがあっても、感謝すべき部分はありうる。