表現と創造
表現、対話、講演、革新、講座、内容の制作を考える。
表現と対話
短章 10 件 02講演と影響力
短章 7 件 03革新と創造
短章 3 件 04講座と内容
短章 7 件短章 27 件
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《どう話すか》 講演を始める前に、目的、理由、行動の手順を明確にしているか?
よい講演は、言葉が鋭いことでも、理屈が通ることでもなく、魂があることだ。
魂とは何か?
明らかにすること
何をするのかを明らかにする
なぜするのかを明らかにする
どうするのかを明らかにする
講演とは、目的を表し、愛を表し、清らかな志を表し、行動の手順を表す過程だ。
《与えること》 一度の表現が、どう聴衆自身の思考と方向を生み出すのか?
深く記憶に残る
記憶=感覚+想像
感覚の源
感覚は、聴衆の思考の中でふと起きる衝突から生まれる
あなたの言葉は、聴衆の既存の考えとぶつからなければならない
知者の発言の価値は、内容そのものの筋道が聴衆に及ぼす作用にあるのではなく
その話によって聴衆が活性化されたことにある
思想が活性化され、巨大な力が生まれる
これが知者と学者の違いだ
学びとは、聴衆の新しい思想と方向を引き出し
深い思考を促すことだ
本当に与えることは、一度きりで終わらず
その人を明るい道へ導くことだ
《大言も急所を突けば》 勢いのある言葉は、どうすれば要点を突いた言葉になるのか?
大ぼらも急所を突けば名言になる
《まず相手が話し終わるのを待つ》 返事が遅いだけで、相手が冷淡だと証明できるか?
文章を送り、しばらくしても望む返答がないと、説明を続け、相手の態度まで決めつけやすい。相手が話し始めたころには、元の問題でなく、なぜ冷たいのか、なぜ大切にしないのかが話題になっている。
文字の会話は対面ではない。相手は考え中か、まだ入力中かもしれない。自分が続けて多く話すことは焦りを示すだけで、相手が読み終えた証拠にも、話すことがない証拠にもならない。それを同一視すれば、後の悔しさは推測の上に立つ。
問いを明確にしたら、答える時間を残せる。急ぎの確認が必要なら理由を説明する。長く反応がなければ、待ち続けるか判断してもよい。しかし一度の間と継続的な回避を同じに判断してはいけない。
対話での一つの努力は、すぐ結論するのをこらえることだと思う。一言を最後まで話してもらってから、受け入れるか反対するか決める。そうしなければ、二人が話すように見えて、実は一人が二人分を話し終えているだけだ。
《態度を判断する前に、懸念を尋ねる》 要求に応じないのは、気が進まないからか、別の懸念があるからか?
人が要求どおり動かないと、「なぜ協力しないのか」と先に問いやすい。すでに相手を判断し、態度だけが問題だとしている。しかし滞るのは金、時間、方法、結果が明確でないための場合もある。
やりたいことと、約束する勇気があることは別だ。価値があると思っても、今できる条件があるとは限らない。要求自体が変化中なら、ためらいは果たせない約束を避けるためかもしれない。それを言い逃れと見れば、話し合える懸念を対立に変えてしまう。
具体的に何を心配し、どこまででき、何に別の方法が必要かをまず尋ねよう。双方が最重視するのは速さか、完全さか、費用かも話す。目標の優先順が違えば、同じ案もまったく違って見える。
尋ねるのは全部受け入れることではない。懸念に理があれば調整し、理由が確認に耐えなければさらに問う。態度の前に条件を明確にすれば、同意にも拒否にも根拠ができ、人柄を推測して物事を進めずに済む。
《知らせないことにも代償がある》 複雑なことを一人で担うと、なぜ親しい人に理解されにくくなるのか?
複雑で説明が骨の折れることは、自分で処理して親しい人を煩わせまいと思う。気遣いの意図はあるが、相手には結果しか見えないかもしれない。なぜ急に予定を変え、いつも時間がなく、心配そうなのか。
過程の情報がないと、人は知っていることで説明する。軽視されている、近づきたくないのだと思う場合もある。自分は圧力から守ったつもりでも、相手は生活から締め出されたと感じるかもしれない。双方が悔しくても、悪意ではなく知ることが違うのかもしれない。
仕事の細部や他人の私事をすべて話す必要はない。まず共同生活に関わる部分を話せる。何が時間を取り、どの予定が影響され、自分で何を処理でき、どんな協力を望むか。答えがなくても、何に向き合っているかは知らせられる。
一人で担うことと、相手を完全に無知にしておくことは二つの選択だ。親しいから何でも察せるわけではない。必要な情報を共有してこそ一緒に段取りを組める。そうでなければ、共同生活は一人が決め、もう一人が説明を待つものになりやすい。
《事情を説明しても、相手のつらさを受け入れる》 自分に事情があれば、相手の悔しさを説明で消せるか?
自分の難しさを話すのは理解を望むためで、必ずしも相手が間違うと言いたいのではない。しかし話し始めから苦労と献身を並べると、「もうつらいと思うな、必要も言うな」と聞こえやすい。
二人のつらさは同時に存在できる。私に圧力があり、相手にも寄り添いが足りず無視された感覚があるかもしれない。一方を説明しても他方は自動的に消えない。自分の理由のほうが十分だと急げば、誰が悲しむ資格を持つかの比較になる。
まず相手が何を気にしているかを尋ね、それから事情を話せる。圧力を語るとき、どの部分を理解してほしく、どんな協力が必要かも示す。そうでなければ多く話しても、相手は次に何ができるかわからず、感情をまた否定されたと感じるだけだ。
理解は全要求への同意ではなく、悔しさを聴くことも全決断の誤りを認めることではない。二つを分けてこそ、実情と相手の感情をともに保てる。議論は誰が苦しいかから、目の前の難しさをどう減らすかへ戻れる。
《謝罪では、まず自分の責任を保つ》 非を認めたら、すぐ理解と許しを求めてよいか?
謝るとき、自分の不十分さを知る一方、多くの事情もあると思いがちだ。すみませんの後すぐ理由を説明し、最後に相手へ立場を考えてほしくなる。説明が真実でも、相手には「認めても、まず私が理解することを求めている」と聞こえうる。
事情は話してよいが、担うべき部分を保つ必要がある。何をうまく処理できず、何に影響し、次に何を補えるかを先に明示する。影響を認めた直後に、気にすべきでないと証明すれば、謝罪で引き受けた責任を押し戻してしまう。
説明は情報提供であり、許しを取り立てることではない。理由を理解しても時間が必要で、補償を受けても不満が残ることはある。自分が話し終えたからといって、相手の悲しみを意図的な嫌がらせと決めてはいけない。
謝罪で自分全体を否定する必要も、属さない責任を認める必要もない。担う部分を見極め、できる修復を続け、ほかの相違は改めて話す。謝罪を成立させるのは、その場の「大丈夫」ではなく、自分が交換と見なさないことだ。
《表現はまず理解に、次に行動に役立てる》 相手に行動を求める前に、まず理解を助けているか?
表現はまず理解に、次に行動に役立てる。
《わかりやすく、使える言葉に》 複雑な考えを、相手が理解し活用できる言葉でどう伝えるか?
複雑な考えを、相手が理解し活用できる言葉で伝える。
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《講演の力は内なる力から》 流暢な言葉のほかに、本当の講演の力はどこから来るか?
影響力の背後の最大の秘密は、講演の力。
講演の力の背後の最大の秘密は、内なる力。
内なる力の核心は「強い自分」と「独立した思想」を持つことだ。
講演は言葉の流暢さではなく、思想の流れだ。内には山河を呑む気迫、外には小橋とせせらぎ……
《講演の四つの境地》 聴衆は内容だけでなく目的も理解し、考え行動し始めたか?
第一の境地。話す内容は自分だけが知り、聴く人には何を話すかわからない。
第二の境地。聴く人は内容を知るが、目的はわからない。
第三の境地。聴く人が目的を知り、思考が促される。
第四の境地。聴く人が内容を聴きながら考え、望んだ決断をして動き出す。
《緊張》 壇上で緊張するとき、自分の出来ばえと聴衆の役に立つことのどちらに意識を向けているか?
なぜ緊張するのか?
緊張とはどういう意味か?
緊張とは「慣れていない」ということ
どう解けばよいか?
緊張するのは、自分のことしか気にしていないからだ
壇上では、聴衆を助けることを考えよう
話すことの核心は、聴衆を助けることにある
聴衆を助けることだけを考えれば、緊張はたちまち消える。
聴衆を助けることだけを考えれば、鳥の巣スタジアムで講演しても緊張しない。
聴衆を助けることだけを考えれば、魅力を開花させる道が開く。
話すことの核心は、聴衆に行動してもらうことにある。助けさえすれば、聴衆は自然に行動する。
《講演の内なる力》 大声や情熱に頼らず、自分の思想を届けるには?
講演は内なる力を解き放つことだ。
内には山河を呑む気迫、外には小橋とせせらぎ。
内には強い自分を、外には独立した思想を築く。
強い自分の背後の秘密は、目の中に個人ではなく衆生を置くことだ。個人を意識しなければ七情六欲を超え、評価や世論に縛られない。一切を超えた心に「慈悲」を育て、衆生を成長へ導く。人の心が死ななければ仏の心は生まれない!
独立した思想の秘密は、慣例に固執せず、破り、超えることだ。人に考えさせられるなら、情熱をほとばしらせ喉をからす必要はない。ただ普通に、穏やかに語ればよい……
《講演の十二の要素》 壇上で、どんな細部が聴衆とのつながりを助けるか?
一、壇上で聴衆に背を向けて話さない
二、聴衆を見渡してから話す
三、すぐに聴衆とやり取りする
四、冒頭で聴衆への役立ちを話す
五、全員に役立つことを期待しない
六、簡単な質問を繰り返す
理にかなっていますか?
そうですか、違いますか?
正しいですか、違いますか?
賛成ですか?
よいですか、悪いですか?
そう思いませんか?
そうですか、違いますか?
皆さん、賛成ですか?
皆さん、そうでしょう?
七、しっかり立つ
八、皆さんを見る
九、人や道具を使い、伝え方を次々変える
十、心から流れ出し、花開く
十一、言葉を忘れたら聴衆に尋ねる
よいコンサートは「一緒に歌おう」
よい講演は「どこまで話しましたか」
十二、役に立てなければ、今の心境を話す
《影響力の土台》 私の影響力は、明確な思想と実際の援助に支えられているか?
影響力は、明確な思想、真摯な志、実行可能な援助から生まれる。
《聴衆が考え、決めるために》 講演を聴いた相手は、理解し、考え、自分で決断できるか?
よい講演は聴衆に理解と思考を促し、自分で決断できるようにする。
革新と創造この小テーマを開く →
《革新と創造とは》 まだ不確かな機会に対し、思い描く勇気から実行する勇気へどう進むか?
革新とは大胆に考えること、創造とは大胆に行うことだ。
つまり、潜在意識が嗅ぎ取った不確かな機会を実行に移すことだ。
小さく成功する人は、やり方を知っていても何をするかを知らない。
大成する人は、何をするかを知っていてもやり方を知らない。
確実なことには、すでに機会がない。
機会のあることには、どれもリスクの感覚がある。
一流中の一流は失敗を恐れず、俗世での体験を欠くことを恐れ、視野、度量、胆力を懸命に磨く。
《不確かさの中で創る》 不確かな可能性を見つけた後、どう考えを現実に持ち込むか?
革新は不確実性の発見から始まり、創造は考えを現実に持ち込む。
《試行錯誤で実際の反応を得る》 新しい考えに対して、まず小さく試し、実際の反応を得られないか?
小さな範囲での試行錯誤を認め、空想や流行への追随を実際の反応に置き換える。
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《師となる》 複雑な理論を平易に語れるかどうかは、どんな蓄積を試すのか?
現代の世にも稀な才人とは何か?
膨大な人生経験を持ち、複雑な理論をわかりやすい日常の言葉で表せる人こそ、現代の世にも稀な才人だ。
《講演の確かな支え》 聴衆の前に立つとき、自分が何を話すかを本当にわかっているか?
本当に講演ができることの核心は何か?
自信、心を解き放つこと、恐れないこと……どれも急所ではない。奥の急所は、胸中に確かな構想があること、つまり何を話すかを知っていることだ
何を話すかさえわかれば、どう話すかは自然にわかる。
専門性があるから自信がある。
《偽りの師》 講義が遠いものに感じられるとき、私は聴衆の暮らしと必要を理解しているか?
なぜ多くの教師の授業を、聴衆は地に足がつかないと感じるのか?
聴衆が誰かを理解していないからだ!
つまり話す内容が上品すぎて、生活から離れている
生活に根づくかどうかは、聴衆の感覚から決まる
大きなことより小さなこと、複雑さより簡単さを語り、
広さより深さ、雅より俗を語る。
雅なことなら誰でもできる!どれだけ俗を扱えるかが勝負だ。
全国の教師が雅を扱う。俗を扱えないのは、俗には膨大な人生経験と体得が必要で、複雑な理論を日常の言葉で語れなければならないからだ。それができる人を現代の世にも稀な才人と呼ぶ。
俗=生活に即すこと
俗=地に足をつけること
地球で暮らすなら、口では地球の言葉を話すべきだ。古めかしい言葉で煙に巻くなら、地球を去ってほしい。
偽りの師は直接方法を与えて聴衆を固定し、会場中を眠らせる。
真の師は衝突を用い、答えを後に回して聴衆を感覚へ導く。聴衆は自ら答えを見つけ、無数の方法を生む。
感覚に入る回数が増えると霊感に入り、そうなればいつでもどこでも答えを生むようになる。
学問を持つ前提は学問を選び取ること。その背後の秘密は正しいものを学ぶことだ。
知識は表面と核心に分かれる
普通の人は表面を見て、大成する人は直接核心に入り、それを使う。一点を解けば、すべての問題はほどけて消え去る。
教え
人があなたに言うこと、することは
あなたがどんな人かを決して決めない
あなたが人に言うこと、することこそ
あなたがどんな人かを決める
思考で勝ち、行動で勝つ
自己否定は成長の始まり
《内容を説明できなければ、作っても無駄になる》 展示内容が豊かなのに、実際の説明で使えないのはなぜか?
資料を詰め込むと、制作者は中身が充実したと感じるかもしれない。しかし説明時に担当者がつなげず、聴く側も要点を見つけられなければ、見た目は豊かでも読み上げるだけになり、伝えたいことが埋もれる。
誰が誰に話し、何を理解してほしいかを考えて準備する。話者が説明できる部分は展開できるが、本人も未理解の内容を、組版すれば自然に説明できると思ってはいけない。研修や補足を必要に応じて行い、資料と使う人をつなぐ。
デザイン前に一度話すと問題を見つけやすい。必須の説明、重複、簡単な例が必要な箇所、次へ進むのに十分な理解はどこか。その反応で内容を直してから表現するほうが、初めに固定するより変更しやすい。
削減で必要情報まで消し、耳触りのよい言葉だけを残してもいけない。複雑な部分は補足にし、詳しく知りたい人が調べられるようにする。主要資料は主目的を、詳細資料は追加説明を担う。使われ方は制作時に考え、完成後に人へ丸投げしなくてよい。
《内容を磨く》 内容を明確で使えるものにするには、さらにどう磨く必要があるか?
内容は生活に即した表現、構造的な整理、継続的な改良を経なければならない。
《講座は力を育てるもの》 講座を終えた後、学ぶ人は自分自身の力を身につけているか?
本当の講座は答えを詰め込むものではなく、学ぶ人が自らの力を育てるのを助けるものだ。
《修悟は責任の清算に代われない》 正しい判断を書いた後、現実のどのことをまだ続ける必要があるか?
修悟を多く書くほど、問い直される場所も増えるべきだ。
責任を担うと書けば、人は何を担ったかを問える。尊重と書けば、理由を聴かなかった段取りを指摘できる。利他と書けば、影響された人が実際に得たものは文章と違うと言うことを受け入れなければならない。発表は自分への制約を増すべきだ。
文章は理解を助けても、待った時間を取り戻せず、納品を自動で終えられない。問題を認めた後も、決断し、修復を実行し、本当にできない部分を明示する必要がある。気づきを書くのは始まりでよいが、現実の責任は現実の方法で処理し続ける。
これらの短篇が、人が私に注意を促す根拠になってほしい。自分を説明するためだけに使い、人による点検を拒むなら、文章が増すほど修めることは減る。修悟が最後に残すのは、理屈のうまくなった自分だけであるべきではない。